専念寺前住職 藤井  護  さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし

浄龍寺前住職 藤井 玄秀  阿弥陀仏をたのみまいらせて念仏もうすべきものなり

萬福寺前住職 佐々木 正  おさしつかえなし ご注文なし

妙勝寺前住職 石川 一登  自分のことは 自分でします

芳仙寺住職  寺田 昌一  「もったいなや もったいない」

長稱寺住職  木曽 義淨  人間、この問われるもの

正行寺住職  佐々木一男  人生は私になにを期待し、なにを願われているのか

正敬寺住職  草野 文明  生死は亀毛の如し

宝栄寺住職  三浦 義徳  本願の名号は正定の業なり 至心信楽の願を因とす

専念寺前住職 藤井  護  山河微笑 山河慟哭

浄龍寺住職  藤井 玄珠  報身と果号

萬福寺前住職 佐々木 正  愚者になりて、往生す

芳仙寺住職  寺田 昌一  門徒物知らず

長稱寺住職  木曽 義淨  仏法の事は、いそげ、いそげ

正行寺住職  佐々木一男  『私たちには念仏をする能力などひとつもありません。念仏は人間が称えるものではなく、阿弥陀如来自身が称えられるものです。私たちはその声をお聞きするだけです。』武田定光著「なぜ?からはじまる歎異抄」より