正行寺住職 佐々木 一男

 宮城先生が「往生浄土の道」という講題で講演された中で、フランクルが『それでも私は人生にイエスという』という題の話をされた時の言葉を引用されたものである。

 『「私は人生になにを期待するかということではないのだ」、つまり私たちは人生になにかを期待し、そしてなんにも期待できなくなると、こんな人生になんの意味があるのだと、生きている意味がないと思うけれども、そうではない。

 「人生は私になにかを期待しているかという心をもつことなのだ」、人生は私になにを期待し、なにを願っているのか。それを私たちは自分を中心にして、この人生、私にとってどういう価値があるかということしか問わない。しかしそうではない。人生から問われており、願われていると、フランクルは期待という言葉でおっしゃっています。』

 小さな自我に閉じこもり生きてきた私が、広大な願いの世界に目覚めていくことが、未曾有の被害をもたらした東日本大震災、巨大津波、原発問題を引き受け、共に往生浄土の歩みを生きる私たちにとって見失ってはいけない視点ではないだろうか。

2011年9月発行「共に歩まん」より