所在地 長野県塩尻市奈良井751
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住 職 藤井 義信 (法名 釋義信)
歴 史
飛騨国白川の照蓮寺を開基した嘉念坊善俊の末裔の明堅が、文亀4(1504)年に本願寺御門主(現在は「御門首」)の実如上人の命により、美濃国郡上里馬瀬郷小原の地に庵を建立し、その後天文年間(1532~1540年頃)木曽氏の招きと馬場氏の手助けもあって、奈良井に専念寺を建立しました。
当初は、飛騨の照蓮寺門下にある専念寺から住職が時々往来している形でした。四代了恩は常に飛騨と奈良井を往来され、沿道の人々に念仏の教えを語られ、真宗に帰依し、門徒となった方々も多かったようです。その頃、飛騨国で戦があり、戦乱を避け、了恩を頼って多数の人々が飛騨より奈良井に移り住みました。
貞享3(1686)年の町方明細図では奈良井川近くにありましたが、水害により現在の境内地下駐車場にお寺が建てられていました。しかし享保12(1727)年12月に奈良井で火災が起き、この時専念寺も類焼してしまいました。享保13、14年で畑地を整備し、寺を再建されました。これが現在の本堂です。真宗寺院の中でも「道場形式」という初期の形態をしている本堂です。真宗寺院では最古といわれ、室町時代の永正元(1504)年に建立された、高山の照蓮寺の本堂をモデルにしていると云われています。奈良井宿は中山道という主要の街道にある宿であるため、本堂の裏には、京から関東などへ出る際に本山から御門主の休み処としても利用された「御殿」と呼ばれる間があります。また、木曽氏より専念寺に嫁いできておられ、その方が輿入れの時に使われた婦人用の籠も現存しています。婦人用の籠は木曽路では唯一現存するものです。
願 い
飛騨と奈良井を往来されてきた住職方が道中で宿をとり、熱心に念仏の教えをお話されたこともあり、奈良井から遠い地にも多くの方々がご門徒になられました。その名残として、今でも「御聴聞」と称して、ご門徒さん宅へ毎年お参りする仏事が行われています。当時の住職達だけでなく、これからも念仏の教えが伝わる寺院でありたいと思います。