所在地 長野県松本市大手5-6-36

℡/0263-32-5653 fax/0263-32-3633

住 職 佐々木 一男(釋一聖)

開 基 佐々木四郎高綱(法名 釋了智)

 第59代宇多天皇第九皇子敦実親王の後胤。鎌倉時代前期の武将で、近江源氏・佐々木家五代佐々木秀義の四男。源平合戦の時、源頼朝の家来として京都宇治川の戦いで、梶原景季と先陣争いをした逸話で広く人々に知られた武将である。「松本かるた」には、「名も高い 勇士の開基 正行寺」とある。

お寺の由来

 開基高綱は、源平合戦の後、武士を捨て高野山にて出家、その後越後に流罪になっていた親鸞聖人を訪ねて面授し門弟になり、法名を「了智」と賜る。親鸞聖人の門弟になった開基了智は、流罪が解かれ常陸へ行かれる途中善光寺へ参詣する親鸞聖人と共に信濃に入り、筑摩郡栗林郷(現在・島立南栗林)に一宇を建て正行寺と号した。南栗林から市内に移転したのは、正行寺第13世浄珍代に、豊臣秀吉公の旨により、松本城主となり天守閣を建築した石川数正・康長公の菩提寺となったことによる。南栗林に残った寺院は等覚寺と号したが、現在は浄土真宗本願寺派に転派し正行寺となっている。        

 又、明治初期の廃仏毀釈については、正行寺第23世了綱の踏ん張りで安曇・筑摩郡下の多くの真宗寺院が廃寺を免れたことが知られている。尚、正行寺に伝承されている『弥陀如来名号徳』は、親鸞聖人88歳の時に書かれたものの写本(完本ではない)ではあるが、現存しているのは当寺のみである。

※『弥陀如来名号徳』 大経に説かれる阿弥陀仏の十二光について解釈し、名号の徳義について述べたもの。(写本時期1311、12、26)

※境内に乃木希典大将の立像が在るのは、高綱の二男・光綱の末裔であることから、先祖の親が建立した寺院という事で、明治時代に三回参拝に訪れたことによる。

お寺の行事

報恩講  毎年11月10日~11日

同朋の会 現在コロナのこともあり休会中

石川数正康長公念持佛法要 毎年12月11日 14:00~15:00

 石川数正康長公念持佛法要は、康長公の命日(1642.12.11歿)に(松本市博物館から借し)お勤めしています。松本城管理事務所・研究員の先生のお話もあります。どなたでも参加できますので、お気軽にお問い合わせください。

親鸞講座 現在コロナのこともあり休会中

お問い合わせ

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